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車選び

「手回し窓」の時代、静かに終わりました――あるいは、諦めの終焉について

 軽バンとは、不思議な乗り物だ。

 いや、不思議、という言葉は正確ではないかもしれない。正確に言うなら――馴染みすぎて、誰も不思議だと思わなくなった乗り物、とでも言うべきか。

 毎日乗る。  毎日働く。  人生で一番長く一緒にいる車かもしれない。

 なのに扱いだけは妙に雑だ。

 「走ればいい」

 軽貨物業界には、この思想が根強く残っている。根強く、という言葉も弱いかもしれない。もはや哲学として根付いている、と言うべき深度で。

 たしかに正しい。論理としては正しい。

 でも同時に、その言葉は――

 毎日使う椅子に座布団はいらない、と言っているのと、少し似ていないか?

 地味に腰へ来る。  そして気づく頃には戻れない。

 そういう種類の、正しさだ。


諦めの話をしよう

 パワーウインドウ。  標準化。

 スズキ エブリイのマイナーチェンジ。今回の核心は、おそらくここにある。

 普通車ユーザーから見れば、きっとこう思うはずだ。

 「え、今まで違ったの?」

 違ったのだ。

 軽バン界では長らく、**"気合い手回し文化"**が連綿と受け継がれてきた。窓を開ける時だけ昭和になる。高速道路の料金所で。コンビニで。配送先の受付で。腕だけが急に筋トレを始める、あの瞬間が。

 急いでいる時ほど、ハンドルと肘が絡まる。

 地味なストレスだ。地味すぎて、声にもならないくらい地味なストレスだ。

 でも不思議なことに――いや、不思議でもなんでもないのかもしれないが――人間は慣れる。

 「まあ軽バンだし」

 その五文字で、全部飲み込んでいた。

 今回のマイナーチェンジは、その諦めをひとつ消した。それだけの話だ。それだけの話なのだが、現場のドライバーにとっては――それだけ、ではないのである。


サブスク型疲労の話をしよう

 軽貨物という仕事は、車を道具として見る文化が強い。

 正しい。職業道具なのだから正しい。

 ただ――その道具に、毎日十時間近く乗る。

 ここを、忘れる。なぜか、ここだけを、忘れる。

 椅子。窓。ミラー。静粛性。乗り降り。

 全部、積み重なる疲労だ。しかも厄介なことに、大きいストレスには人間は敏感だが、小さいストレスには鈍い。

 窓が重い。  ミラー調整が面倒。  朝から軽い敗北感がある。

 これらを毎日、無言で、口座に積み立てていく。

 サブスク型疲労、とでも名付けようか。

 しかも自動更新だ。解約方法は誰も教えてくれない。

 電動ミラーの標準装備も、今回の変更点として挙げておくべきだろう。荷物を積んで、乗り込んで、「あ、ミラーがズレてる」となる。身体をひねる、伸ばす、届かない、降りる――その朝の敗北感が、ボタンひとつで消える。

 文明とは、こういうことだ。

 人類は、ちゃんと進歩していた。


「まあ行きますか」の話をしよう

 「今日も乗るか……」

 と、

 「まあ行きますか」

 の差は、小さいようで、大きい。

 毎朝の話だから。三百六十五日、積み重なる話だから。

 軽貨物ドライバーにとって、車内はほぼ第二の部屋だ。第二の、というより、稼働時間で言えば自宅より長い時間を過ごす第一の部屋、と言うべきかもしれない。そこでの疲労は、売上には出ない。数字にならない。だから見えない。だから軽視される。だから積み重なる。

 見えないものほど、あとで効く。

 ボディーブローみたいに。

 安全装備の強化についても触れておこう。ブレーキサポート、誤発進抑制、車線逸脱系。これらは事故防止装置である以上に、精神の保険だ。時間、渋滞、再配達、駐禁、焦り――脳みそが小刻みに削られていく配送中において、「車が気を遣ってくれる」という感覚は、疲労の種類そのものを変える。


諦めが消えていく話をしよう

 今回のマイナーチェンジは、革命ではない。

 フロントマスクは「作業着を新調した時くらいの変化」であり、装備の変化は「人類がちゃんと進歩していたことの確認」であり、全体としては静かな改善の積み重ねだ。

 でも現場目線で言うなら――

 「軽バンだから仕方ない」

 この言葉が、少しずつ使えなくなっていく。

 窓を回さなくていい。ミラーで身体をひねらなくていい。安全装備が黙って守ってくれる。

 諦めの解像度が、下がっていく。

 仕事とは、派手な成功より毎日ちゃんと帰れるほうが強い。軽バンとは、高級車より毎日「まあ行きますか」と思えるほうがいい。

 そういう種類の、進化だ。


 明日の空が、限りなく透明に近い青色でありますように――と、軽バンのドライバーは今日も思う。手動だった窓が、もう電動になっていることを、まだ半分だけ信じながら。

なかじま

中島 一

運送会社の役員として10年以上にわたり物流業界に携わり、3PL事業も展開。物流の上流工程からラストワンマイルまで一貫して対応できる幅広い知見を持つ。
また、行政担当者や各業界の経営者を交えた勉強会を主催し、現場課題から政策動向まで多角的に把握。実務と行政の両面から、物流ビジネスの最適解を探求している。

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